モノから見たサービス、サービスから見たモノ


「サービスという言葉を聞いて、何を思い浮かべますか?」

例えば、店の人から何かを無料でオマケしてもらったというような、特別な計らいを受けた経験を思い出すかもしれません。 あるいは、美容室やクリーニング、会計士やコンサルタントのように、専門的な技能を持った人に自分の仕事を代わりにしてもらうことや、手助けをしてもらうことを想像する人もいるでしょう。 またお金儲けに興味のある人なら、○○レンタルや○○リースのように、モノを売り渡さずに利用させて儲ける方法が頭に浮かぶかもしれませんね。

これらのどのケースにも当てはまるのですが、サービスという言葉は本来、自分の持っている何らかの能力を自分以外の誰かのために用いる(利用させる)ことを意味します。つまりサービスは、(人の力を借りて)自分の思いを遂げようとする主体と、(相手の思いを遂げさせるために)自分の力を貸そうとする主体の両者があって、はじめて成り立つ関係の世界を表わします。人は誰もが他者の力を借りずに生きていくことはできず、またそれゆえ社会は人が互いに力を与え合うことで成り立っています。その意味で、人間の生活や社会を基盤として支えるのは、持ちつ持たれつのサービスの交換なのだと言えそうです。

ところが、サービスが経済や社会の基盤であると考える人はこれまでほとんどいませんでした。特に、18世紀にアダム・スミスが社会(国家)の発展をモノの生産とその交換によってを押し進めようとする考えを打ち出して以降、サービスは非生産的な活動(=モノの交換を生まない)としてみなされるか、モノに付随する補助的なもの(アフターサービス/サポート)として扱われるようになっていったのです。サービスの重要性を唱える研究者も、あくまでそれを「製品」と比べることによって理解しようとしました。サービスは製品と違って形がとらえづらい。それに、サービスは人の力に依存するので製品のようには品質が均一化しづらい。そしてまたサービスは製品ほど明確に生産と消費に別けづらく、しかも製品のように在庫として前もって保管しておくこともできない。製品に比べるとなんだか劣等生のような扱いですね。つまりサービスは、製品に対して追求してきた、一定の品質管理のもとに大量生産を行い、また市場予測に応じて生産や販売を計画的に管理するといった方法が、簡単には応用できない問題児(やっかいな財)というわけです。

しかし、最近のマーケティング論では、このような製品を優位とする発想に対して、最初に述べたようなサービスの本質的な意味(自分の持っている力を自分以外の誰かに資するように用いること)を認識した上で、サービスの側から製品の役割やビジネスの可能性をとらえ直そうとする考え方が徐々に広まっています。このような新しいアプローチは、サービスドミナント・ロジック(SDロジック)と呼ばれ、アメリカ人のマーケティング研究者のバーゴとラッシュの2人を中心に展開されていますが、マーケティングだけでなくサービスの研究者やサービスデザイナーたちからも大きな注目を集めています。

SDロジックでは、あらゆる経済活動はサービスと見られ、製品をつくって顧客に提供する活動も間接的なサービスとみなされます。つまり、サービス提供者の能力がただちに同じ場所でサービス利用者に使用されるのではなくて、それがいったん製品に組み込まれて、製品が使用されるタイミングと場所でその能力が活用されるというわけです。そうすることで、自分の能力を相手のために用いる人と、その能力を利用する人が同じ時間と場所にいなくても、様々な機会にサービスが成立するようになります。例えば、自動車という製品について考えてみましょう。そこには開発者が持っている路面の走行や機械の操縦などに関わる様々な知識や技術が組み込まれていると考えることができます。そしてドライバーが必要な場所で自動車を運転する際、それらの知識や技能がドライバーによって(自動車の利用を通じて)活用されて、便利で快適な移動という目的が達成されます。

そのように考えてみると、製品に限らず、自動販売機やKIOSK端末のような装置や、電話やインターネットなどの通信手段、そしてお金や最近のポイントも含めて、様々なモノが、多様な主体の間にサービス交換の範囲と機会を広げるための媒介手段として役立っていることに、あらために気づかされます。

(武山 政直)